幸せのマック

いい歳になると、マクドナルドを食べるのは消去法の末にやむなく選択することが多くなる。


結構前。

夜更けに、なんでか空腹で街を彷徨って、なんでかイライラしながらマクドナルドでベーコンレタスバーガーかなんかをもさもさ食べていた。

その当時住んでいた品川区の片隅の街には、夜更けにめぼしい店がマクドナルドぐらいしかなかったのだ。


当時の私は確か彼氏に振られたか、振られそうだったか、ともかくぼんやりと不調な頃で、当時住んでいた社員寮は独房のように狭く、部屋にいても外にいてもとにかく気が塞いでしかたなく、その時もえらい投げやりにポテトをリプトンの紅茶で流し込んでいた記憶がある。


八方塞がりな気分で咀嚼を繰り返しながら、何気無くカウンターハッピーセットのオマケを見たらオモチャのマイクがあった。中にバネが仕込んであって、マイクに向かって歌うと、電池もなにも使わず自然にエコーがかかるオモチャのマイク。昔もおんなじようなオモチャがオマケで、欲しがったんだけどもうなくって、そしたら母親が見本の分を見事もぎとってくれたのを一気に思い出す。


そこで記憶は私が小学生のころに飛ぶ。


日本のチベットで生まれ育った私は、小学校中学年くらいまでマクドナルド(を、はじめとしたファストフード全般)は、車で隣の市まで行かないと存在しなかった。マクドナルドはお出かけの時の特別なご馳走。まぎれもなくハレのものだった。


今思えば、関東で青春時代を過ごした両親にとって、わざわざ車を使ってマクドナルドを食べに行くのは何か思うところがあったのかもしれない。買い物のついでにも、何かとドライブスルーで寄っては決まって父親はダブルバーガーを頼み、それを片手で持ちもぐもぐと頬張りながら運転をした。母親は初めてマクドナルドを食べたのは新宿のコマ劇の裏だったと言い、美味しいとは思わないんだけどね、といいながらもなんだか嬉しそうに食べるのが常だった。

車はそのまま郊外のデパートに向かい、なにか素敵なお買い物をして帰ってくるのだ。


蘇ったのはそんなマクドナルドのCMに出てくるような幸せな光景で、その中心に私がいたなんて本当だったのかと疑わしい気持ちになった。


眉間にしわ寄せて、こめかみに鈍い痛みを覚えて、若干胸焼けしながら

紅茶で飲み下してるこの食べ物と、あの幸福な陽だまりのような思い出の中の食べ物が同一の食べ物だとはもはや思えない。なんだか無性に悲しくて仕方がなくなり、夜更けのマクドナルドで泣いた。


私はあんな風に幸せなマクドナルドを誰かと食べる日がくるなんて想像も着かない。そういった絶望からくる涙だったのだと今にして思う。


そこからしばらくたって、今は独房のような寮からは出れたけど、相変わらず狭い部屋には違いない。仕事は変わったけど余裕ができたわけじゃない。彼氏もいない。今だ私には幸せなマクドナルドの気配すら見えてこない。


別に家族が持ちたいとか、そういうことじゃない。私は幸せにマクドナルドを食べれるようになりたい。一人でも、誰かとでもいいから、あの幸せな日曜のお昼ご飯のような気持ちで過ごしたい。ごまかしでもなんでもいいから、あの完璧なご馳走を食べたいのだ。