味噌と醤油が甘い

福岡に転勤した。

御飯がおいしいでしょうと、みな口々に言う。

確かにおいしい。

魚は豊富にあるし、どこのお店でも新鮮なものが食べられる。

鶏肉もとてもおいしい。焼き鳥屋さんがたくさんある。

糸島産の野菜もとても人気だ。安いし、みずみずしい。

 

適当な店に入ってもたいていおいしく、東京のチェーン居酒屋ぐらいの

金額でそれ以上のクオリティの料理をおなかいっぱい食べられる。

 

ただ、ただだ。

 

味噌と醤油が甘いのだ。

こればかりは自分の東北舌を恨むしかないのだが、

九州全般で使われる刺身醤油に使われる謎の「うまくち」と

麦みそというやつがどうにも甘ったるく、脳がもやっとする。

 

煮魚などもどうにも甘い。カラメル感がとても強い。

 

食事に「甘さ」の無かった地域に育ったために

どうにもこういう、食事に入ってくる甘さになれない。

酢豚のパイナップルとかはまあ、いい。あれは全体が甘くなるわけでない。

 

あの甘口しょうゆというのは、御飯に合わないではないか。

私は行儀の悪い人間なので、しょうゆにつけたお刺身を

ごはんにワンバンさせるたちなのだが、あのうまくちではどうにもならない。

あれは醤油ではなくたれだ。

 

麦みそのしみじみとした甘さは、どうにもやるせない。

ぶた汁なんかだと、豚の油の甘さが余計に強くなる気がする。

きりっと塩気があってほしいと思ってしまうのだ。

 

福岡は結構好きだなあと思うのだけど、結構根本のところで相いれないので

なんだかせつない。

とっても仲良く話せるけど、絶対付き合ったりしないなあという

予感だけはしっかりある男の子のようである。

 

 

男の子はコーラがすき

今週のお題「飲み物」

 

私の両親は、長女の私を結構緊張しながら育てたようで

食べ物にちょっとしたタブーがあった。

 

コーヒーは飲ませてくれなかったし、ガムや飴もほとんど与えられたことは無かった。

ラムネ菓子のようなものも禁止だった。

 

だから私は今もどれも大してたべられない。

そのほかの食卓に上がるような食べ物はほとんど好き嫌いが無いので、まあ両親の方針はまずいところはなかったとおもう。

 

ただタブーだったそれらを受け付けないのは、ちょっとしたコミュニケーション不全を引き起こす。

食後のガムや、咳き込んだときに渡されるのど飴や、眠そうなときに渡されるフリスクを私はなんとなくあいまいに断わる。

ねぎらいに渡される缶コーヒーのやり場に困ったりする。

もうちょっと耐性が作れればよかったのだけれど。

 

その流れでいうと、最も耐性が無いのが炭酸飲料だ。

中でもコーラはほんとうに年に数mlしか口にしていないと思うし、生涯でも2Lも飲んでいないかもしれない。

ジンジェーエールやサイダーなんかは割りと飲めるのだけれど、コーラはどうにも苦手だった。

なんだかくすりくさいし、なんだってハンバーガーやピザにあんなのをいっしょにするのかいまだにぜんぜんわからない。

 

だから男の子というのはなんであんなにコーラがすきなんだろうかと不思議におもう。

変な話だけれど、私が口にしたコーラの何割かは男の子から分けてもらったコーラだと思う。

ぜんぜん好きじゃないのだけれど、なぜだかみんなおいしそうに飲むし、いやしんぼのわたしは男の子がコーラを飲むのを見るたびに、そんなにおいしいなら一口おくれ、といってしまうのだ。

(そして仲のいい男の子ができるスパンが長すぎて、私はいつもコーラの味を忘れてしまうのだ)

 

だからコーラは、夜中のコンビニの前とか、変な時間のマクドナルドや、明け方のラブホみたいななんだかアレなシチュエーションとセットになっていて、それはますます私のコーラ嫌いを進めているような気がする。

私はきっと自分でコーラは買わない。でもこの夏コーラを飲む機会が来ればいいのにと思う。

できればもうちょっとましなシチュエーションで、コーラの思い出が増えればいいのにと思う。

 

 

ケンタッキー、海老の尻尾、パセリ

私は食べ方が意地汚い。

私が小さい頃、母は私の食べ方をみて「欠食児童だとおもわれるからやめて!」と何度となく注意した。

(中学生くらいまでは体重が標準値以下の痩せ型だったし)


ケンタッキーの最近やっている骨なしチキンのCMで、ハライチが「骨食べちゃった!」と騒ぐ。

今日、オリジナルチキンの2ピースセットを食べたのだけれど、トレイに残った骨はドラムの太い1本の骨だけだった。サイの分の骨は本当に食べてしまった。


魚の骨も大抵食べてしまう。ホッケの開きの骨も、よく焼けていれば食べるし、イワシやサンマあたりはまあ丸ごと食べる。下手したら鰺の開きの頭とかも食べる。


もちろん海老の尻尾も食べる。進んで食べる。添え物のパセリも好きだ。できることならしじみのお味噌汁の身もほじくり返して全て食べたい。梅干しの種の中身。あれも食べる。食べると頭がよくなるとも聞くし。


こういうのなるべく外ではやめなくてはと思うのだが、どうしても一人だと我慢ができない。人がいても酔っ払っていたりすると、ついついやっているし、きっと育ちの良い方々には冷ややかに見られていることだろうと思う。


私だって海老の尻尾に一瞥もくれず「あ、これ下げてください」と言いたいのだけど。スマートにご飯を食べられないとなあと、思いはするのだがどうしてもテーブルの上のものはできる限り食べたいのである。





幸せのマック

いい歳になると、マクドナルドを食べるのは消去法の末にやむなく選択することが多くなる。


結構前。

夜更けに、なんでか空腹で街を彷徨って、なんでかイライラしながらマクドナルドでベーコンレタスバーガーかなんかをもさもさ食べていた。

その当時住んでいた品川区の片隅の街には、夜更けにめぼしい店がマクドナルドぐらいしかなかったのだ。


当時の私は確か彼氏に振られたか、振られそうだったか、ともかくぼんやりと不調な頃で、当時住んでいた社員寮は独房のように狭く、部屋にいても外にいてもとにかく気が塞いでしかたなく、その時もえらい投げやりにポテトをリプトンの紅茶で流し込んでいた記憶がある。


八方塞がりな気分で咀嚼を繰り返しながら、何気無くカウンターハッピーセットのオマケを見たらオモチャのマイクがあった。中にバネが仕込んであって、マイクに向かって歌うと、電池もなにも使わず自然にエコーがかかるオモチャのマイク。昔もおんなじようなオモチャがオマケで、欲しがったんだけどもうなくって、そしたら母親が見本の分を見事もぎとってくれたのを一気に思い出す。


そこで記憶は私が小学生のころに飛ぶ。


日本のチベットで生まれ育った私は、小学校中学年くらいまでマクドナルド(を、はじめとしたファストフード全般)は、車で隣の市まで行かないと存在しなかった。マクドナルドはお出かけの時の特別なご馳走。まぎれもなくハレのものだった。


今思えば、関東で青春時代を過ごした両親にとって、わざわざ車を使ってマクドナルドを食べに行くのは何か思うところがあったのかもしれない。買い物のついでにも、何かとドライブスルーで寄っては決まって父親はダブルバーガーを頼み、それを片手で持ちもぐもぐと頬張りながら運転をした。母親は初めてマクドナルドを食べたのは新宿のコマ劇の裏だったと言い、美味しいとは思わないんだけどね、といいながらもなんだか嬉しそうに食べるのが常だった。

車はそのまま郊外のデパートに向かい、なにか素敵なお買い物をして帰ってくるのだ。


蘇ったのはそんなマクドナルドのCMに出てくるような幸せな光景で、その中心に私がいたなんて本当だったのかと疑わしい気持ちになった。


眉間にしわ寄せて、こめかみに鈍い痛みを覚えて、若干胸焼けしながら

紅茶で飲み下してるこの食べ物と、あの幸福な陽だまりのような思い出の中の食べ物が同一の食べ物だとはもはや思えない。なんだか無性に悲しくて仕方がなくなり、夜更けのマクドナルドで泣いた。


私はあんな風に幸せなマクドナルドを誰かと食べる日がくるなんて想像も着かない。そういった絶望からくる涙だったのだと今にして思う。


そこからしばらくたって、今は独房のような寮からは出れたけど、相変わらず狭い部屋には違いない。仕事は変わったけど余裕ができたわけじゃない。彼氏もいない。今だ私には幸せなマクドナルドの気配すら見えてこない。


別に家族が持ちたいとか、そういうことじゃない。私は幸せにマクドナルドを食べれるようになりたい。一人でも、誰かとでもいいから、あの幸せな日曜のお昼ご飯のような気持ちで過ごしたい。ごまかしでもなんでもいいから、あの完璧なご馳走を食べたいのだ。